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東京地方裁判所 平成9年(ヨ)21056号 決定

債権者

赤木忠生

右代理人弁護士

八代徹也

債務者

社会福祉法人恩賜財団

済生会支部東京都済生会

右代表者業務担当理事

関岡武次

右代理人弁護士

須田清

園部洋士

主文

一  債務者は債権者に対し、平成九年八月四日から平成一〇年八月三日まで、毎月二五日限り月額七八万円を仮に支払え。

二  債権者のその余の本件申立てを却下する。

三  申立費用は債務者の負担とする。

理由

第一  申立て

一  債権者が債務者に対し、参事及び東京都済生会中央病院総務部長としての労働契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

二  債務者は債権者に対し、平成九年二月一二日から本案判決が確定するまで、毎月二五日限り月額七八万円を仮に支払え。

第二  事案の概要

本件は、債務者の参事及びその施設である東京都済生会中央病院(以下「済生会中央病院」という。)の総務部長として勤務していた債権者が債務者に対して、六〇歳定年制の不適用等を主張して、地位の保全及び賃金の仮払いを求めた事案である。

一  争いのない事実

1  債務者は、日本全国で医療機関及びその他の社会福祉施設等を設置して社会福祉事業等を行う社会福祉法人恩賜財団済生会(以下「済生会本部」という。)の定款により設置された都道府県の支部組織であって、権利能力なき社団であり、その施設として済生会中央病院(東京都港区三田一丁目四番一七号)等を有している。

債権者(昭和一二年二月一一日生)は、平成三年一二月、債務者に雇用され、済生会中央病院の事務長(総務部長)として、また、平成四年四月一日から参事を兼ねて勤務していた者であり、平成九年二月一一日当時における月額給与は七八万円、賃金支払日は毎月二五日である。

2  債務者は債権者に対し、業務担当理事・済生会中央病院院長伊賀六一(以下「伊賀院長」という。)名義の平成九年二月六日付け書面で、同月一一日をもって東京都済生会規則一九条但書、東京都済生会事務局組織分掌規程三条、五条により債務者の参事の職を解き、済生会中央病院就業規則二八条、三〇条により定年退職とする旨を通告した。

なお、本件に関する就業規則等は、別紙のとおりである。

二  債務者の主張

1  東京都済生会就業規則一五条は、参事などの管理職の定年を七〇歳と定めているが、同規則四二条は、済生会中央病院の職員については同規則を適用しない旨定めており、済生会中央病院就業規則三〇条は、同病院の職員の定年を六〇歳と定めている。債権者は、済生会中央病院の職員(総務部長)であるから、済生会中央病院就業規則が適用される結果、六〇歳に達した平成九年二月一一日をもって債務者を定年退職し、これに伴い、参事の地位も当然に消滅した。

2  債務者は、昭和四四年五月一六日、済生会中央病院の従業員で組織する済生会中央病院従業員組合との間で、職員の定年を男子は満六〇歳、女子は満五七歳とすることなどを内容とする労働協約を締結し、管理職を含む全従業員を対象に昭和四五年五月一六日から(但し、女子は昭和六一年四月二三日に引き上げて)六〇歳定年制を施行していた。もともと、債務者の有する済生会中央病院や向島病院、葛飾診療所、渋谷診療所などの施設は、創立の歴史を異にしており、就業規則、給与体系、労働条件もそれぞれの施設の歴史的伝統や実情に応じて独立して運用されているのである。以上のような経緯、事情を踏まえ、平成五年四月一日改定の済生会中央病院就業規則に、六〇歳定年制が明文化されたのである。なお、定年後も引き続き債務者に勤務している者がいるのは、医師、看護婦のような専門職について定年後嘱託として再雇用している場合であって、済生会中央病院の事務職員はすべて六〇歳で定年となっている。

3  債務者は、昭和五〇年八月八日、東京都済生会事務局組織分掌規程の全面改正を行い、債務者の事務局を済生会中央病院内に移設して同病院事務局と一元化し、職員については債務者の業務担当理事を同病院の院長、参事を同病院の事務長(総務部長)とすることにして、参事と同病院事務長を兼務とした。そして、参事に対する報酬は、全体の給与体系の中で参事手当として支給されたのである。したがって、参事という名称は、職制手当又は職能手当の対象ともいうべき性質のものである。なお、債務者の債権者に対する平成九年二月六日付け通告書には、「参事の職を解く。」との記載があるが、これは東京都済生会事務局組織分掌規程の改定によって済生会中央病院総務部長の職務と独立した参事の職務が存在しなくなったことを前提に、満六〇歳定年によって参事たる地位が消滅したことを確認したにすぎない。

4  よって、債権者と債務者との間の労働契約は、平成九年二月一一日をもって終了したというべきである。

三  債権者の主張

1  債権者は、債務者との間で労働契約を締結して参事及び済生会中央病院総務部長として勤務してきたのであり、済生会中央病院は独立した法人格を有しない債務者の一施設に過ぎない。

2  済生会中央病院就業規則二八条、三〇条の定める六〇歳定年制は、医師、管理職を除く一般職についての定めであると解すべきである。なぜなら、医師、管理職の定年を七〇歳、一般職の定年を六〇歳と定めた東京都済生会就業規則一五条に抵触するばかりか、債務者の施設である向島病院、渋谷診療所、葛飾診療所等には管理職の定年を六〇歳と定めた就業規則は存在せず、債務者の主張を前提とすると、たまたま済生会中央病院勤務を命ぜられた管理職は六〇歳で定年になるのに対し、他の施設勤務を命ぜられた管理職は七〇歳で定年になるという不合理な結果になるからである。さらに、平成五年改正前の済生会中央病院就業規則には定年に関する定めがなく、済生会中央病院に就労する医師、管理職は東京都済生会就業規則一五条による七〇歳定年制の適用を受けていたのであるから、済生会中央病院就業規則の変更によって医師、管理職の定年を六〇歳と定めることは、就業規則の一方的不利益変更にほかならない。そして、債務者は、就業規則の変更に伴う代償的措置は何ら講じていないのであるから、就業規則の変更は合理性を欠く。したがって、六〇歳定年制に関し、済生会中央病院就業規則の不利益変更が認められる余地はない。

3  債務者における定年制の実際の運用をみると、済生会中央病院勤務の医師(病院長)、管理職(看護部長、事務長)はもとより、渋谷診療所や葛飾診療所などの施設の医師、管理職についても、六〇歳定年制は適用されていないのであり、済生会中央病院の職員全員が一律に六〇歳定年制の適用を受けていたということはできない。

4  債務者は、昭和三九年作成の東京都済生会就業規則において医師、管理職の定年を七〇歳、一般職員を六〇歳と定め、済生会中央病院においても右のとおりの運用がされてきたのである。したがって、債務者が済生会中央病院従業員組合との間で労働協約を締結したとしても、東京都済生会就業規則と同一内容を定めたにすぎず、しかも、非組合員である管理職には労働協約の効力は及ばないのであるから、昭和四五年以降、新たに済生会中央病院に定年制が導入されたことはない。仮に、右の労働協約によって六〇歳定年制が導入されたとしても、既に破棄されているのであり、このことは平成五年改定の済生会中央病院就業規則に定年制を導入する際、債務者と労働組合との間の労働協約の存在が議論されなかったことからみて明らかである。

5  債務者は複数の施設を有する組織であるから、参事の職務内容が済生会中央病院の総務部長の職務内容と異なることは当然のことであり、現実にも参事の職務内容と済生会中央病院の総務部長の勤務内容は異なっている。そもそも兼務発令は、その必要があるから兼務発令をするのであり、六〇歳定年により債権者の参事の地位が当然に消滅するのであれば、債務者の任免辞令書に「六〇歳定年による退職」と記載すれば足りるのに、本件では「参事職を解く。」と記載しており、論理矛盾である。

6  以上のとおり、債権者の定年は七〇歳であり、未だ定年に達していないから、債権者が参事及び済生会中央病院総務部長としての労働契約上の権利を有する地位にあることは明らかである。

第三  当裁判所の判断

一  被保全権利について

1  本件では、債権者の済生会中央病院総務部長の地位に着目して東京都済生会就業規則四二条を適用すれば、済生会中央病院就業規則二八条、三〇条によって六〇歳定年制が適用されることになる。しかし、債権者の参事の地位に着目すれば、東京都済生会就業規則五条二項、一五条によって七〇歳定年制が適用されることになる。そこで、まず、債権者と債務者との間の労働契約の内容について検討する。

前記争いのない事実に加え、疎明資料(甲一七、二一、二七、三二、三四、三七、三九、乙一〇、一五)及び審尋の全趣旨によれば、次の事実が疎明される。

(一) 参事と済生会中央病院総務部長(事務長)の関係

債務者は、昭和五〇年以前、債務者事務局と済生会中央病院事務局が別々の建物内に存在し、業務担当理事などの常任役員のほか、参事が債務者事務局の業務にあたっていたが、業務の縮小や済生会本部の仮移転に伴う債務者事務局の仮移転、業務担当理事や参事の相次ぐ更迭などの理由から、済生会中央病院院長が業務担当理事を兼ねて、また、同病院事務長が参事を兼ねるようになった。債務者は、その後、右の現状に鑑み、昭和五〇年の東京都済生会事務局組織分掌規程改正の際、債務者事務局を同病院内に置くことによって、債務者事務局と同病院事務局の一元化を図り、事務処理の効率化を図ることにした。

(二) 東京都済生会規則、昭和五〇年改正後の東京都済生会事務局組織分掌規程の規定関係

東京都済生会規則は、債務者に事務局を置くことができ(一六条一項)、その組織及び事務分掌は別にこれを定めること(同条二項)、債務者の職員として参事を置き(一八条一項)、職員の任免は会長が行うが、理事会の決議をもって他の機関を任免権者と定め又は他の機関に委任することができること(一九条)と規定し、これを受けて東京都済生会事務局組織分掌規程は、債務者の事務局を中央病院内に置き(二条)、事務局職員の任免は業務担当理事が行い(三条二項)、事務局職員は参事の指揮監督のもとに職務を行うこと(同条三項)、済生会中央病院に関する人事事項(職員の任免、服務、給与、労務、福利厚生、教養、その他人事に関する事項)については、同病院を担当する常務理事が業務担当理事の委任を受けて処理すること(五条一項)と規定している。

(三) 参事の職務内容

参事の職務内容は、①債務者全体の事業計画案や予算案の作成、②債務者の事業実績及び決算案の作成、③予算、決算役員会の開催に関する諸準備や議案の説明、④常務理事会の開催準備、議事録作成、⑤債務者の各施設の事業推進に必要な人事・施設整備等の進行、調整、⑥債務者の受託施設の運営に関する委託機関先との折衝、⑦債務者の各施設の新設、変更、廃止に伴う定款変更業務、⑧済生会本部の方針や指示事項の関係各所への周知連絡、済生会本部に対する連絡、報告業務などである。しかし、実際には、参事の指揮監督のもと、済生会中央病院事務局の事務部門各課が担当しており、債務者の事務局の業務を遂行するための専任職員は存在しない。

(四) 債権者の定年退職扱い後の債務者の措置

債務者代表者であった伊賀院長は、同病院の総務部長の後任が決定するまでの間、総務部長の職務の引き継ぎを担当課長らに指示するとともに、参事の職務については、増田管理部長が引き継ぐことを指示した。

右の認定事実及び前記争いのない事実を総合すれば、参事及び済生会中央病院総務部長の職務は、沿革上それぞれ独立して存在し、債務者において事務の効率化等の観点から同一人物が兼務することが慣例化するようになったところ、右慣例化以降も、東京都済生会規則や東京都済生会事務局組織分掌規程上は、債務者事務局と同病院事務局が取り扱う業務は別個独立のものとされ、現実にも参事と同病院総務部長の職務は別個独立して存在し、債権者が債務者を定年退職扱いされた以降も、参事と同病院総務部長の業務を別々に引き継ぎさせているなど、債務者においても参事と同病院総務部長の業務を別個独立のものとみていたということができる。

債務者は、債権者の参事たる地位は職制手当又は職能手当の対象ともいうべき性質のものである旨主張する。確かに、甲第一九号証によれば、債権者が債務者から支払われる賃金は、本給七〇万五〇〇〇円、参事手当七万五〇〇〇円の合計七八万円であり、手当の金額及び賃金総額に占める割合に照らせば、参事手当は民間企業における役職手当のような性質を有するものとみることもできなくもない。しかしながら、右に認定したとおり、参事と済生会中央病院総務部長の職務は別個独立に存在するものであるから、債務者の右主張は、参事及び同病院総務部長の職務関係の解釈に何らの影響を及ぼすものではない。

右に検討してきたところを総合考慮すれば、債権者と債務者との間の労働契約は、参事と済生会中央病院事務局総務部長を兼ねてそれぞれの労務を提供し、その対価として参事手当を含む月額七八万円の賃金の支払いを受けるという内容であるとみるのが相当である。

2  そこで、次に債権者に対する六〇歳定年制の適否について検討する。

労働者が使用者と労働契約を締結し、七〇歳定年制の就業規則が適用される甲事業場と六〇歳定年制の就業規則が適用される乙事業場に兼務して就労する場合において、当該労働者が六〇歳に達したとしても、労働契約や就業規則等に七〇歳定年制を適用しない旨の定めがあるなどの特段の事情のない限り、当該労働契約が当然に終了したり、あるいは甲事業場の関係でのみ労働契約が存続するものではなく、当該労働者が七〇歳に達した時にはじめて当該労働契約が定年によって終了すると解するのが相当である。なぜなら、定年制は、労働者が一定の年齢に達したときに自動的に労働契約が終了するものであるから、定年年齢を異にする甲、乙事業場に兼務して就労する労働者に対して乙事業場の定年制を適用することは、甲事業場に就労する兼務発令を受けていない労働者と比較して著しい不利益を被らせることになって相当でなく、また、労働契約は、労務提供に対する対価が特定の労務提供毎に明確に分けて定められている場合を除き、その性質上不可分であるから、六〇歳定年制によって乙事業場の関係では労働契約が終了し、甲事業場の関係では労働契約が存続すると解することは、労働契約の不可分性に反することになるからである。

これを本件についてみるに、債権者と債務者との間の労働契約は、参事及び済生会中央病院事務局総務部長を兼務して労務を提供し、その対価として月額七八万円の賃金の支払いを受けるという内容である。この点、東京都済生会就業規則四二条は、「本会中央病院の職員は(略)この規則の適用を受けない。」旨を定めているが、右規定は、債務者事務局と済生会中央病院の兼務職員について、同規則を一切適用しない趣旨ではなく、同規則及び済生会中央病院就業規則のそれぞれが適用される趣旨であると解するのが相当であるから、右規定をもって、七〇歳定年制の適用が排除されたとみることはできず、他に七〇歳定年制の適用が排除される特段の事情は認められない。また、本件では、参事又は総務部長としての労務提供に対する対価が明確に分けて定められている訳ではないから、債権者の定年年齢は七〇歳であると認めるのが相当である。そして、債権者は、昭和一二年二月一一日生まれの六〇歳であって未だ定年に達していないから、債権者は債務者に対し、参事及び済生会中央病院総務部長としての労働契約上の権利を有する地位にあるというべきである。なお、債務者は債権者に対し、平成九年二月六日付け通告書で東京都済生会規則一九条但書、東京都済生会事務局組織分掌規程三条、五条により同月一一日をもって参事を解職しているところ、右解職は、債権者の定年が六〇歳であることを前提にするものであり、本件ではその前提を欠くから、債務者の債権者に対する参事の解職は無効というほかない。

二  保全の必要性について

疎明資料(甲三五)及び審尋の全趣旨によれば、債権者は、肩書地において妻、長女(二八歳)、次女(二五歳)の四人暮らしであり、債務者から支払われる賃金でもって生計を営んでいること、右賃金の支払いがなされなくなったために生計の維持に困窮を来たしていることが疎明され、右の事実によれば、賃金仮払いの必要性を認めることができる。

そこで、仮払額を検討するに、債権者の月額賃金は七八万円(賞与を除く。)であるのに対し、疎明資料(甲三五)及び審尋の全趣旨によれば、平成八年一一月一二日から平成九年二月一一日までの間の債権者の平均支出額は、月額約七九万円であることが疎明される。そうだとすれば、債務者に命ずべき仮払額は、月額七八万円と認めるのが相当である。

さらに、仮払期間について検討するに、今後速やかに訴え提起が予想される本案事件の審理内容や進行予想、債務者が被る損害の可能性、程度、債権者の再就職等といった将来の事情変更の可能性を考慮すれば、債務者に命ずべき仮払いの期間は、本件の最終審尋期日である平成九年八月四日から平成一〇年八月三日までの一年間と認めるのが相当である。なお、債権者は、平成九年二月一二日以降の賃金仮払いを申立てているが、これは既に発生した過去の賃金の仮払いを求めるものであり、右の仮払いまで命じる必要性を疎明する資料は何ら存在しないから、債権者の申立ては理由がない。

次に、地位の保全について判断するに、本件では、裁判所が賃金の仮払いを命ずることにより、債権者の生活の困窮性は回避することができ、さらに地位の保全まで命ずべき必要性は存しないから、地位の保全を求める債権者の申立ては理由がない。

三  以上によれば、債権者の本件申立ては、主文第一項の限度で理由があるから債権者に担保を立てさせないで認容し、その余は理由がないから却下して、主文のとおり決定する。

(裁判官島岡大雄)

別紙〈省略〉

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